小学2年で NEC PC-6601 の BASIC に触れて以来、ホスティング事業を興し、モバイルへ全面転換し、大規模システムを最適化し、いまは AI エージェントを実装する ── 時代が変わるたびに主要な技術へ乗り換えながら、設計から実装、運用までを現場で担ってきた技術者です。

最初にコンピュータに触れたのは小学2年、いまから40年ほど前になります。以来、ホスティング、モバイル、クラウド、そして AI へ ── 時代が変わるたびに主要な技術を乗り換えてきましたが、一度も現場は離れませんでした。ここからは、私自身の言葉で振り返ります。
最初のパソコンは、親が買ってきた NEC PC-6601 でした。当時はまだ「OSを立ち上げる」という感覚すらなく、電源を入れると BASIC が起動して、画面はプログラムの入力を待っている ── 何かをさせたければ、自分でコードを書くしかありませんでした。10行目から一行ずつ命令を綴り、思ったとおりに画面が動く。その手応えが、すべての出発点です。
次に手にしたのは、CD-ROM をいち早く積んだ富士通の FM TOWNS。やがてパーツを一つずつ選んで自分でパソコンを組むようになります。どの部品が何を担い、どこがボトルネックになるのかを手を動かして理解した ── ハードウェアを内側から知るこの感覚が、のちにサーバやネットワークを設計する土台になりました。
アメリカへ渡り、大学で IT マネジメントを専攻。技術そのものだけでなく、それを事業としてどう組み立て、どう回すか。作る力と、経営として成り立たせる力 ── その両方を早い段階で自分の軸に据えられたことが、のちの起業につながりました。
最初の起業はアメリカでした。日本語と英語のどちらの環境も使える自作パソコンを一台ずつ組み、販売から導入後のサポートまで引き受けました。OS・ネットワーク・サーバ、そして利用者が本当に困っていることまでを一続きの問題として見る視点が、ここで身につきます。これが株式会社アースリンクネットワークの出発点です。
個々のパソコンを支援する仕事から、サービスを支える基盤そのものを提供する仕事へ。まず Linux のホスティング事業を立ち上げ、続いて日本でも早い時期に Windows ホスティングにも取り組み、マイクロソフトからも事例として紹介されました。落とせない・遅くできない緊張感の中で、可用性と運用を身体で覚えた時期です。
当時 Adobe でも Macromedia でもなく Allaire の製品だった ColdFusion を載せたレンタルサーバーを国内でも早い時期に用意し、専用サーバー事業へも広げました。用途ごとに最適な構成を設計するこの経験が、このあとの受託・コンサルティングの下地になりました。
「この仕組みそのものを作ってほしい」という相談が増え、システムの受託開発へ。さらに、どの技術を選ぶか・どこにリスクがあるか・どう作れば長く使えるか ── 作る前の判断を支えるコンサルティングへと広がります。「作る人」から「作り方を決める人」へ、役割が一段変わりました。
C# 2.0 から入り ASP.NET、C# 3.0 へ。同時に All About で C# の連載を持ち、初学者がつまずくところを言葉にしました。「作る」と「教える」を並行させるスタイルは、このころに形になっています。
マイクロソフトとシスコのパートナー認定を継続。とくにシスコのシルバーパートナーは当時 国内に19社ほどしかなく、NEC や NTT といった大手が名を連ねるなか、有限会社として入っていたのは自社だけでした。規模ではなく技術と実績で評価される ── その手応えが、いまも自分の手で技術に踏み込み続ける支えです。
iPhone が普及し始めた頃、モバイルが次の中心になると見て開発の軸を一気に移しました。Swift 以前の Objective-C でアプリを書き、社内の Windows PC をすべて Mac へ入れ替える。「見極めたら、思い切って全部を寄せる」やり方は、いまの AI への向き合い方にもそのまま重なります。
Android にも踏み込み、両方を教える開発スクールも運営。ゲーム業界が伸び PHP の仕組みがスマホへ移る時代に、一気通貫に作れる Unity へ。2.0 の頃から触っていた経験を買われ、各社で導入支援から CI/CD の自動化まで、現場に入り込みました。
Kubernetes が広まる前から Docker を軸にした仕組みを構築。フィーチャーブランチを push すると専用環境が自動で立ち上がり、branch.example.com の個別サブドメインで検証できる ── 一人ひとりが干渉されない実行環境を持てる、いまで言うプレビュー環境を、まだ一般的でない時期に各社へ持ち込みました。
jQuery 全盛期に次は React と読み、10年以上前から軸足を移す。実装だけでなく、チームが同じ品質で書ける開発標準づくりと新人教育の設計も担いました。判断の一部を仕組みへ預けるこの発想は、のちに AI と組み、どこまで任せるかを線引きする考え方につながっています。
得意は大規模システムの効率化。何千万人という会員を抱えるシステムはもちろん、ゲーム業界に多い「昼休みに一気に跳ね、終わると落ち、終業後にまた跳ねる」スパイク型トラフィックに対し、平均値では破綻しない ── ピークに合わせつつ無駄なく縮む最適なネットワーク構成を設計してきました。
どの時代も、作るものを人任せにしませんでした。創業当初から自社サイトを細部までデザインし、いま公開するプロダクトやウェブサイトも見た目から中身まで自分の手によるもの。QuickRec(通話録音の一元管理)、Heartmap(視線可視化)、WinManager(レンタルサーバー事業者向け管理・課金)など、自社プロダクトも作り続けてきました。
ChatGPT の頃から AI に触れ、Claude Code のようなエージェントコーディングの登場に「インターネット・iPhone 以来の、より大きなビッグバン」を確信。多くの人がまだ様子を見ている段階で開発へ舵を切りました。これまで積み上げた全部を土台に、現在18本のプロダクト群と、その中核であるマルチAIワークスペース Prompt Flow Studio を、日本を含む世界各国で正式に公開しています。
設計だけ、コードだけ、では終わりません。要件定義から実装、インフラ、運用、そして品質保証まで ── 領域を越えて、自ら検証し、実装できる。それが上原の仕事の仕方です。
フロント(React/TypeScript)からバックエンド(C#/.NET/Python/Node)、モバイル(Swift/Unity)まで。モダンもレガシーも横断。
サーバ・ネットワーク設計から、AWS/Azure/GCP、Docker/k8s、IaC まで一気通貫で組む。
複数LLMの活用、エージェント設計、RAG、品質ゲート ── 実務のワークフローにAIを組み込む。
高負荷サイトの負荷分散、DB設計・最適化、クラウドコスト最適化 ── 動くだけでなく、耐えるものを。
要件定義・基本設計・DB設計から、PMP/CMMI に基づく大規模基幹の統制・品質管理まで。
研修・ファシリテーション設計。技術だけでなく、チームの力を引き出す仕組みも作る。
扱う領域を広げるたびに、現場で得た知識を体系化するため、資格・認定の取得を続けてきました。肩書きとして並べることが目的ではなく、異なる専門領域の人と共通の言葉で話し、判断の根拠を説明し、プロジェクトを前へ進めるための土台として活用しています。
ネットワーク・データベース・アプリケーションに閉じず、システムを構成する技術を横断して学んできました。資格の領域は、実際に担当してきた仕事の広がりと重なっています。
正しく実装するだけでは完成しません。目的・予算・品質・リスクを管理し、合意をつくって運用へつなげる ── そのため技術資格に加え、プロジェクトマネジメントと個人情報保護も体系的に学びました。
人がどう理解し、学び、行動へ移すのか ── それを学ぶために、NLP・セラピー・マインドマップの領域でも資格を取得。セミナーや企業研修、新人教育、チームのファシリテーションに生かしています。
技術や計画が正しくても、それだけでチームは動きません。資格とは別に、実務で担ってきた役割です。
技術を知ること、事業を進めること、人と組織を動かすこと。この三つを切り離さずに扱うために、資格で学んだ体系と、現場で積み重ねた経験の両方を大切にしています。
技術のあらゆる層を自分の手で扱ってきたからこそ、どこを AI に任せ、どこを人が判断すべきかが見えます。その線引きを、自社で実践しています。
必要な道具は外に頼まず自分で書く。だから中身が分かり、AIに任せる範囲も正確に引ける。
叩き台はAIが作れる。でも最後に通すかを決めるのは人間。判断こそが中核の仕事になる。
証拠が無い限り「完了」と言わせない品質ゲートを自作し、繰り返す判断は手順に落とす。注意ではなく仕組みで。